刺激と反応の間には、選択の自由がある。7つの習慣から学ぶ
人間には、刺激と反応の間に選択の自由がある。
目で見たモノ、耳で聞いたモノ、皮膚で触れたモノなどの刺激。
その刺激(インプット)に対する反応(アウトプット)は、その人が自由に選べますよ、という話だ。
暑いモノに触れたときに、とっさに手を引っ込めるのは条件反射で選択できないが、それは例外で、ほかのほとんどの刺激に対して、どのような反応をするのかは自由に選択できる。
そしてその選択した反応の良し悪しで、その人の人格が決まる。
7つの習慣から学んだスキルだ。
刺激と反応の間の選択
刺激と反応の組み合わせには、ざっと4つのパターンがある。
- 良い刺激→良い反応
- 悪い刺激→悪い反応
- 良い刺激→悪い反応
- 悪い刺激→良い反応
パターン1は、いたって普通の反応だ。
褒められれば嬉しいので、感謝の「ありがとう」が口から出る反応が、普通の人だと思う。
パターン2も、まあ普通かなと感じる。
叱られれば面白くないので、愚痴や言い訳なんかが出るだろう。
「なんで俺ばっかり怒られるんだ」「後でやろうと思ってたのに先に言われてやる気がなくなった。あの人はせっかちだ」なんて感じだろうか。
あるあるだ。
あるあるだが、刺激と反応の間にもうひと呼吸入れて、選択の余地があることを意識して欲しい。
叱られたときに、もし自分が悪かったのなら反省の意思を示すべきだ。
もし自分は悪くないのであれば、冷静に誤解を解く反応を示すべきだろう。
いずれにせよ、受けた刺激に対して、条件反射的に反応するのは、大人の選択をしているとは言えないと思う。
パターン3、これは何なのだろうか。
良い刺激に対して、悪い反応で返す。
皆で楽しくおいしい料理を食べているのに、つまらなそうに仏頂面の人。
仕事の成果を褒めたのに「どうせいつもはダメで、今回はまぐれだから」みたいな反応の人。
天の邪鬼というやつなのだろうか。
本人は個性だと気にしていないかもしれないが、良い反応だとは思えない。
たまにこういう反応なら、まあ仕方ないかなとなるが、いつも天の邪鬼な反応だと、周りはその人にレッテルを貼って諦めてしまう。
晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す
私はパターン4のような人格になりたい。
叱られたら真摯に受け止めて、嫌な思いをしながら叱ってくれた人に感謝したい。
雨降りの憂鬱な天気でも、その雨を喜んでいる人の気持ちを想いながら、外は雨でも自分の気持ちはお天気でいたい。
外が晴れであっても雨であっても、いつも自分の天気を持っている人でいたい。