なんで息子と話すと説教になってしまうのか、何となくわかった
先日、息子と対話した。
対話というと穏やかに聞こえるが、実態はそうではない。
いわゆる説教だ。
親父からの説教など、思春期真っ只中の高校生男子にとって、最悪以外の何物でもないだろう。
私自身、自分が高校生だった頃を思い浮かべると、トップレベルの最悪シチュエーションだ。
それはわかっているのだが、やっぱり場面々々で説教することになってしまう。
なぜそうなるのか、自己分析してみた。
期待と現実のギャップ
息子との対話の結論は、彼が理想と現実との差異に気付いていないよね、ということだった。
そのこと(理想と現実との差異)に感心がない、とも感じた。
ギャップ分析ができていない、ということだ。
こうなりたい、という理想はある。
しかし、いまの現実が明確にできていない。
だからその差異=ギャップ=課題が把握できない。
ギャップ分析は、課題抽出手法の基本中のキホンだ。
息子との長い対話の末に、どうにか彼に理解してもらい、見つかったギャップへの対応策にたどり着くことができた。
あれ?
ちょっと待てよ。
これって、父親の私がスッキリしただけで、息子はぜんぜんスッキリしてないんじゃないか。
親父に説教されて、なんかよくわからないギャップ分析とかやられて。
息子と父親のギャップ
なんで息子と話すと説教になってしまうのか、何となくわかった気がする。
私の理想とする息子像と、息子自身が理想とする自分像にギャップがあるからだ。
それだけじゃない。
息子の理想とする父親像と、私自身が理想とする自分像にもギャップがある。
怖いことに気付いてしまった。
ただ震えていても仕方がないのだが、このギャップを埋めるのは、生半可ではできなそうだ。