散歩中に七夕の飾りつけを見つけた。心配してもしょうがないから、願掛けして安心する
毎朝の散歩ルートの神社に、七夕の飾りつけがされていた。
まだ短冊は少なかったが、これから増えていって、七夕の日には、お願い事でいっぱいになるのだと思う。
私もなにかお願い事をしたいな、と考えたら、最初に思い浮かんだのは「家族の幸せ」だった。
そんな自分に、少し驚いた。
自分よりも家族が大切
私はこう見えても、自分大好き人間だ。
自分の仕事ぶりや普段の振る舞いを好ましく思っているし、自分一人でいるのも好きだ。
もっと正直に言うと、誰かと一緒よりも、自分だけでいる時間の方が楽しい。
世界は自分を中心に回っていると本気で信じているし、自分の人生はすべて自分のモノだという信念がある。
そんな私なのに、願い事で最初に思い浮かんだのは「家族の幸せ」。
いったいこれは、どういうことなのだろう。
自分大好き人間の私が、年をとって、家族大好き人間に変わってしまったのだろうか。
心配してもしょうがないから、願掛けして安心する
いろいろ考えて思いついたのが「心配」だ。
私は仕事や自分の健康などの自分主体の課題は、自分のチカラで解決できる。
自分大好き人間で、自分は万能だと思っているし。
なので、自分のことで「心配」することは、ほとんどない。
しかし家族が引き起こす課題は、私だけのチカラでは解決できないことがある。
むしろ、単身赴任している私には影響できないことの方が多い。
そのせいで、家族に何か起きることを「心配」していて、それが起きないことを「願う」のだと思う。
離れている家族を心配してもしょうがないことは、わかっている。
でも、何か起こりそうで心配だ(しかし心配事の9割は起こらない)。
だから、せめて七夕様に願掛けして安心したい。
こういうことだろう。
ああ、自分が変わってしまったのではないことがわかって、スッキリした。